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日本型雇用という「ねずみ講」はいつまでも続かない

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はじめに

 筆者がこれまでに主張してきたことに全く合致する記事があります。その記事とは、2018年8月16日にダイヤモンドオンラインに掲載された次の記事です。

diamond.jp

 上記の記事は、ミクシィのCEOも務められた、朝倉祐介氏が書かれたものです。氏は、終身雇用・年功序列に裏打ちされた日本的経営を、ねずみ講になぞらえています。

 筆者は、終身雇用・年功序列の雇用システムは現代の社会情勢に合致しておらず、いずれ破たんするだろうとこれまでに主張してきました。しかし、ねずみ講に比定することは思いつきませんでした。日本的経営を表現するにこれ以上的を射た言葉は存在しないでしょう。

 氏は、当該記事において、経営者の立場から日本的経営に如何に経済合理性が存在しないかを克明かつ詳細に分析されています。終身雇用・年功序列・企業別組合の3要素からなるシステムを経営者から見た場合、日本的経営と言いますが、労働法制や雇用慣例の観点から見た場合、これを日本型雇用と言います。

 先述の3要素からなるシステムという意味においては、日本的経営も日本型雇用も実質的には同じものです。そこで、筆者は、以下の議論において、これらの3要素からなるシステムを日本型雇用と定義します。そして、日本の人口動態の観点から、日本型雇用が如何に持続可能性に乏しく、「ねずみ講」的であるかを論じます。

日本型雇用の成立要件

 非常にざっくりと言うと、終身雇用とは、一度雇った従業員の雇用を定年まで保障する制度を意味します。一方、年功序列とは、賃金と労働生産性との差分が勤続年数に応じて増大していく制度を意味します。

 すなわち、この両者を同時に両立させる日本型雇用とは、

賃金と労働生産性との差分が正比例する状態を定年まで保障すること

を意味します。

 これを満たすためには、次の2つの要件が同時に満たされなければなりません。

  1. 会社の業績が拡大基調であり続けること
  2. 生産年齢人口比率が減少傾向に無いこと

 これらの要件を同時に満たしていたのは、高度経済成長期(1954年~1973年)~安定成長期(1974年~1990年)のみです。

 まず、1991年にバブルが崩壊し、低成長時代を迎え、1の前提が崩壊しました。次に、1995年に、生産年齢人口比率が減少傾向に転じ、それ以降、単調に減少し続け、2の前提が崩壊しました。すなわち、1995年以降は、日本型雇用を成立させるための前提条件の双方ともが崩れてしまったのです。

団塊世代とは何か

 高度経済成長期には、上記2つの成立要件に基づいて、企業はどんどん従業員を増やし、次第に大企業へと成長していきました。朝倉氏は、高度経済成長期を評して、次のように述べています。

 こうした景気拡大の主要因が、「団塊の世代」と呼ばれる戦後の人口増加と、それによる労働人口の増加、消費の拡大によるものであったことは、近年盛んに指摘されている通りです。(出所:『DIAMOND online』2018.08.16

 団塊の世代とは、第1次ベビーブームが起きたときに生まれた世代で、1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれた方々を指します。この3年間は、出生数が250万人を超えており、トータルで800万人を超えています。人口ピラミッドにおいて、スパイク状の特殊領域を形成し、人口構成において、大きな比率を占めていることが分かります。

 現在は70歳代に差し掛かり、現役を退いていますが、彼らが社会に出始める約半世紀前は、日本はちょうど高度経済成長期の真っ只中でした。ちょうど今から50年前の1968年には、日本のGNPが当時の西ドイツを抜いて世界第2位となり、日本は経済大国としての地位を不動のものにしました。この世代が高度経済成長期下の日本の労働力の下支えをし、同時に、消費拡大の牽引役も果たしていました。

 第1次ベビーブームの発生要因は、第2次世界大戦終結に伴う国民の安堵感と、外地に赴いていた兵士の帰還によるものと言われています。第2次世界大戦終結後のベビーブームは、日本に限らず、大戦に関与した各国で共通の現象となっています。

終身雇用・年功序列について

 終身雇用・年功序列を基調とする日本型雇用は、団塊の世代が社会に出始めた高度経済成長期において次第に形成・定着していった雇用慣行です。年功序列賃金制とは、若い頃の賃金を労働生産性に比べて低く抑え、中高年の賃金を労働生産性に比べて過剰に支払うことにより、互いに帳尻を合わせる賃金形態を意味します。したがって、これを有効に機能させるためには、同一の組織(会社)に定年まで勤め続けること、すなわち、終身雇用が前提となります。年功序列賃金において、賃金と労働生産性とが等価になる損益分岐点は、40歳前後と言われ、60歳を定年とすれば、ちょうど折り返し地点に対応します。これは、日本銀行の実証研究からも明らかになっています。

 年功序列賃金を有効に機能させるには、終身雇用の他に、もう一つ大前提となる成立要件があります。それは、生産年齢人口比率が減少傾向に無いことです。

生産年齢人口比率とは

 生産年齢人口とは、生産活動に従事する労働力の中核をなす人口層を意味します。具体的には、15歳以上65歳未満の年齢に該当する人口のことです。現役世代という言い方をすることもあります。生産年齢人口比率とは、総人口に占める生産年齢人口の割合を意味します。つまり、「生産年齢人口比率が減少傾向に無い」とは、「総人口に対する現役世代の比率が減少しない」という意味です。

 日本の人口動態を精査すると、高度経済成長期までは、生産年齢人口比率の推移が上昇基調にあったことが分かります。これは、団塊の世代が生産年齢人口ゾーンに到達したことに起因します。

 生産年齢人口ゾーンには、15歳という入口と、65歳という出口があります。生産年齢人口比率が上昇基調にあるということは、65歳という出口から退出する人より、15歳という入口から入る人の方が多い、すなわち、若者が増え続けていることを意味します。

 高度経済成長期には、団塊世代が現役世代に到達したことにより、この状態にあったと考えられます。ちょうどそのころ、年功序列賃金制という雇用慣行が定着していきました。

 年功序列賃金制は、賦課方式を採用しています。賦課方式とは、その時に必要な財源を徴収すべき人から徴収し、支給すべき人に支給するというやり方です。典型的なものに公的年金制度があります。賦課方式の対義語は、積立方式です。積立方式とは、貯金と同じものと考えてよいと思います。高度経済成長期のころ、賦課方式を採用する年功序列賃金制が企業にとって最も有利に作用しました。なぜなら、生産年齢人口比率の上昇基調を背景として、負担者となる若者を多く採用できたからです。この方式が奏功して、企業業績や規模の拡大に寄与しました。しかしそれは、一時的な現象に過ぎませんでした。

団塊世代だって年を取る

 年功序列賃金制では、年齢に応じて負担者と受益者の2通りに大別されます。その線引きは、賃金と労働生産性とが等価になる年齢、すなわち、損益分岐点です。損益分岐点は、先述の通り、40歳前後とされています。出生数が史上最高を記録した、1949年生まれの人が40歳になるのは、ちょうど、1989年に対応します。したがって、バブル経済最高潮に到達していた頃は、ちょうど彼らが受益者の側に差し掛かる時期に対応していました。その一方、当時の日本の人口動態によると、生産年齢人口比率は上昇基調ではなく、定常的でした。しかし、バブル経済に浮かれ、日本型雇用の持続可能性に警鐘を鳴らす者などほとんど存在しませんでした。折しも、そのちょうど2年後に勃発するバブル崩壊という経済危機も相まって、日本型雇用は、長期の経済不況の中で、企業に与える大きな負担となって暗い影を落とすことになりました。

1995年がネズミ講の終わりの始まり

 朝倉氏は、日本型雇用をねずみ講になぞらえて次のように述べています。

 日本的経営に沿って終身雇用と年功序列を同時に成立させるのは、ネズミ講に似た状態です。新入社員は低い賃金に耐えて滅私奉公(めっしぼうこう)をし、後になって給料を取り戻すという構造にあるからです。この構造を維持するためには、常に親ネズミ(ベテラン)を支える子ネズミ(新入社員)を、毎年多数採用しなくてはなりません。(出所:『DIAMOND online』2018.08.16

 日本型雇用という「ねずみ講」はいつまでも続くものなのでしょうか?

 長期低迷に喘ぐ日本経済において、日本型雇用という「ねずみ講」の終わりの始まりとなる現象が発生しました。それは、1995年から始まる、生産年齢人口比率の低下です。年功序列賃金を維持し続けるには、労働生産性に比して賃金の安い若い労働力を常に供給し続けることを必要としますが、生産年齢人口比率が低下したことにより、それが全くできなくなってしまったのです。これにより、年功序列賃金に全く正当性が失われました。

 年功序列賃金は、若年期の過少分の穴埋めをするために、中高年労働者の受益分が勤続年数に応じてどんどん増大していくシステムです。そこで、90年代後半以降は、企業の年齢構成において大きな比率を占める団塊世代の過払い給与を捻出するために、若年労働者の労働条件をさらに低下せざるを得ませんでした。

 それが、若年労働者の非正規化です。

 すなわち、90年代後半を境目として、若年労働者の非正規化がどんどん進展していったのは、彼らの労働条件を引き下げ、そこから発生した原資を団塊世代の受益分に補填するためだったのです。

1949+65=2014

 団塊世代が生産年齢人口ゾーンから全て退出した年は、2014年に対応します。

 日本経済が最近好調な背景には、いわゆるアベノミクス効果によって、為替レートが安定化し、輸出企業の業績が伸びたことなども考えられますが、この他に、大きな要因が隠されています。それは、団塊世代が全て生産年齢ゾーンから退出したことです。これにより、企業は彼らに対しての人件費負担から完全に開放されました。反対解釈すると、近年の企業業績の好調の裏には、年功序列賃金制が如何に現代社会においてミスマッチで、これまでに企業に大きな負担が強いられてきたかを現しているのです。

 しかし、団塊世代の生産年齢ゾーンからの退出という現象は、極めて特殊かつ一時的な現象です。現在も生産年齢人口比率の低下傾向には歯止めがかからず、今後もこの傾向は続くものと予測されています。したがって、今後も日本型雇用を持続させるのであれば、高度経済成長期に大きくなった大企業を中心に、若年労働者に対する労働条件の引き下げに歯止めはかからないでしょう。

まとめ

 今回は、団塊世代の動向を中心に、年功序列賃金制をはじめとする日本型雇用が如何に現代社会においてミスマッチな制度かについて論じました。団塊世代とは、先述の通り、第2次世界大戦終結に伴って発生した第1次ベビーブームに生まれた世代を指します。すなわち、第2次世界大戦が無ければ、団塊世代など存在しなかったでしょう。

 ところで、以前、太平洋戦争のマリアナ沖海戦の史実を題材にして、如何に旧態依然とした成功体験に固執することが、やがて破滅へと導くかについて論じたことがあります。 

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 マリアナ沖海戦では、日清・日露戦争時にたまたま成功を収めた艦隊決戦主義という古い戦術を金科玉条とする海軍指導者が司令にあたりました。しかし、艦隊決戦主義はミッドウェー海戦において既に破綻していた戦術でした。にもかかわらず、海軍上層部はレーダーなどの防御兵器を軽視し、幾重にも張り巡らされたアメリカ軍の防御兵器の前に大敗北を喫しました。マリアナ沖海戦の大敗北によってサイパン島が陥落し、それが、B29大型爆撃機による本土空襲へと繋がり、日本の敗戦が決定的となりました。

 つまり、日清・日露戦争という過去の成功体験に基づく古い戦術を引き継いだ戦勝利得者が日本の破滅を引き起こしたのです。

 これと全く同様に、高度経済成長期という過去の成功体験に基づく古い雇用慣行を引き継いだ団塊世代という敗戦利得者が20年にもわたる日本の長期低迷を引き起こしたことは間違いないでしょう。