Mesoscopic Systems

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メガバンクを3か月で辞めた東大生がいても驚きに値しない

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はじめに

 下記のような記事があります。メガバンクを3ヶ月で辞めた東大生を題材にして、日本型雇用慣行が陳腐化しつつある現状を紹介しています。

withnews.jp

 メガバンクを3ヶ月で辞めた東大生がいたとしても、筆者は何も驚きません。たまたま勤めた会社が肌に合わなくて3か月で辞めただけの話です。辞めた人間が東大出身であり、辞めた会社がメガバンク。ただそれだけの話であり、出身大学が東大であろうと何大であろうと、辞めたところがメガバンクであろうとどんな会社であろうと、仮に3か月で辞めたとなれば事象は同じです。

3か月で辞めたことは我慢が足りないのではない

 この東大生は、メガバンクにおける定型業務の面白みのなさ、紙ベースでの業務が今後AIに取って代わられるであろうという焦燥感、転勤命令と言う強大な人事権行使の可能性を危惧して、3か月でメガバンクを退職したと言います。

 つまり、彼は、自らの適性とメガバンクの業務内容や労働慣行との相性の悪さを3か月と言う短い期間で将来予測し、辞める判断を下したということです。現状把握能力が高いのであって、我慢が足りないのでありません。

 定年までの雇用確保を餌(えさ)に、辞令一本で労働者の適性に適合しない部署に異動させたり、縁も所縁もない土地に転勤させたりという具合に、労働条件の決定に関し労働者側の一切の選択権を排除する日本型雇用慣行に彼はいち早く見切りをつけたのでしょう。日本型雇用慣行の下で働いても、何らの報いが期待できない事に彼はいち早く気付いたのでしょう。

 もちろん、定型業務や紙業務に面白みを感じる方や全国転勤を全く厭わないという方であれば、わざわざ辞める必要は無いと思います。それもまた選択権の行使のうちの一つです。要は、労働者側の選択権を一切排除しておきながら、辞めることは悪いとする日本社会の一種独特の空気がおかしいと筆者は言っているのです。

日本型雇用慣行は高度経済成長期に成立した雇用慣行

 高度経済成長期には、GDP成長率が10%超えの時期も普通にありましたし、人口ボーナス期でもありました。このような社会情勢であったからこそ、日本型雇用慣行が有効に機能しました。なぜならば、高度経済成長期は人件費の安い若者をどんどん投入できた時期であり、結果として、企業が負担する固定費の総量を抑制することができたからです。反対解釈すれば、GDP成長率も低く人口オーナスが進行しつつある現代では、このような雇用慣行が有効に機能しないのは明らかです。

 50代以上の中高年であれば短期的な将来予測の下で何とか逃げ切りを図ることは可能でしょう。しかし、新入社員に、日本型雇用慣行の安全神話を40年もの長きに渡って信じ続けろというのはあまりに酷です。

 職務内容が合わないのであれば合う会社を探せばよいし、会社に将来性が無いと思えば成長産業に転職すればよいし、勤務地が気に入らなければ勤務地を変えればよいし、労働者自らの選択にゆだねられるべきです。先行き不透明な経済情勢の下ではそうするほうがむしろ自然です。

 一つの会社内でジョブローテーションを繰り返すという雇用調整の在り方は、生産年齢人口比率の低下に伴って内部労働市場の縮小過程にある現在、すでに破綻しています。生産年齢人口比率が低下しているのなら、いち早く雇用を流動化し、より広い労働市場でもって雇用調整を図る方が適切です。

 すなわち、人口オーナス期にある現代においては、雇用の流動化こそが雇用や労働に係る全ての歪みを解消するための最も直接的かつ明快な手法と言えるのです。

大手志向は危険

 学生が大手志向だという話をよく耳にしますが、それは危険な発想です。大手志向とは、安定性を念慮して言っているのでしょうか。

 しかし、現在大手と言われる企業群はいつ大きくなったのでしょうか。一部IT企業を除けば、そのほとんどが高度経済成長期に大きくなった企業ばかりです。つまり成長は過去の産物であって、現在も大きくなり続けているわけではありません。

 資本主義社会において、企業は業績を伸ばし続けなければならない宿命にある以上、現在と社会情勢が全く異なる時期に大きくなった企業が、今後さらに業績を伸ばし続けることに困難を極めることは確かです。それだったら、比較的歴史が浅く、現在も拡大の一途を辿る企業を選択する方が合理的です。その一方で、比較的歴史ある大手企業であっても、積極的なリストラを断行し、組織形態をスリム化させている企業であれば、将来性があると言っても良いでしょう。

 すなわち、大人になっても身長が伸び続けることはあまり聞いたことがないし、大人になってからでもあまり太り過ぎると体を壊すのです。

相対的概念で価値判断を下すから間違いを犯す

 そもそも大きいとか小さい、あるいは、有名とか無名とか、何かと何かを比較して企業選びの価値判断を下すから間違いを犯すのです。大きいと言っても上には上があり、そのようなことに価値判断の重きを置くことは、自分の適性との相性を度外視していると言えるでしょう。有名・無名についても同様です。

 企業選びは、自分の適性という絶対的指標を唯一の価値観とすべきです。労働者の適性は千差万別であり、それぞれ固有のものです。一方において、企業の持つ業態・社風も千差万別であり、それぞれ固有のものです。したがって、どこかに人気が集中するものではなく上手く分散して当てはめられるものです。

 いわゆる人気企業とされている企業であっても、学生から選ばれているという驕り高ぶりに傾斜した結果、その人気の裏に、労働実態が極めて劣悪であったという事例も存在します。電通がその典型的な例です。

 企業選びと言うのは、本来、企業の特性と労働者の適性とのマッチングの問題です。それぞれが千差万別である以上、一発でベストマッチングすることの方がごくまれで、うまく収まらないことが殆どです。

 新規学卒時という人生で一度きりのイベントにチャンスを閉じ込める方が不自然で、マッチングが上手く収斂するまでに何度も切り替えられるようにすることの方がはるかに自然です。

 すなわち、新卒一括採用の廃止および雇用の流動化こそが現代の社会情勢の即応したごく自然な手法なのです。

まとめ

 日本が敗戦を経験し、戦後の混乱期を経てやがて高度経済成長期の到来がありました。この過程において、社会全体が唯一無二と言っても良い価値観に覆われていました。それは、日本をいち早く経済大国に押し上げるということです。

 日本が敗戦国から経済大国へと躍り出る過程において働き方の象徴とされたのが、日本型雇用慣行です。しかし、日本が経済大国となった今そのような価値観は崩壊してしまいました。

 つまり、日本型雇用慣行は、敗戦利得者によって創り上げられてきた制度であり、現代の若者にとても通用するような代物ではないのです。