Mesoscopic Systems

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東京オリンピックの「水素タウン構想」はガラパゴス諸島と同じ

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はじめに

 現在、政府では「水素エネルギーシステム」というプロジェクトが進行中です。「2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催時期までに水素インフラを整備し、水素を定置用燃料電池や燃料電池バス等で利用する」というものです。下がそのイメージ図です。

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(出典:内閣府 東京オリンピック・パラリンピックの「水素タウン」実証イメージ)

  一見したところ、とてもエコな感じがして素晴らしいじゃないかと思う方も多いかもしれません。ところがこれは、国家による壮大な無駄プロジェクトなのです。

水素エネルギーシステムプロジェクトについて考える

 上図を見ると、水素の製造⇒水素の輸送⇒水素の使用という3つの部分から成り立っていることがわかります。ここでは、水素の製造と輸送について考えます。

水素製造について

 水素の製造方法には、水蒸気改質と水電解の方法があります。水蒸気改質は化石燃料を高温下で水蒸気と反応させ水素を取り出す方法です。しかし、副生成物として二酸化炭素が生成されてしまうため、エコカーの水素製造方法に適しません。

 したがって、COフリーの水素製造方法として唯一考えられるのは、自然エネルギー由来の電力を用いて水を電気分解する方法です。よくEV充電に関し、自然エネルギー由来の電力を用いなければ意味が無いと言う人がいますが、それは、水素の製造方法にしても同じことなのです。

 ところで、燃料電池車(FCV)に水素を充填する水素ステーションには、水素製造工場から水素を運搬し貯蔵するオフサイト型と、直接水素を製造し貯蔵するオンサイト型の2種類があります。オフサイト型の場合、水素の輸送コストが余分にかかりますが、水素の輸送については次節で論じます。そこで、まず、水素ステーションで直接水素を製造するオンサイト型について考えます。

 オンサイト型の水素ステーションでは、水電解方式による水素製造装置を必要とします。水電解による水素発生方式として現在実用化されているものに、アルカリ水電解方式と固体高分子型水電解方式(PEM)の2つが存在します。

 PEMは、電力原単位が3.8kWh m-3-H2前後と非常に小さく高効率です。しかし、槽の水素製造能力に優れず、カソード材料に主に白金系材料を使用するため、高コストです。したがって、低コストかつ大規模容量の水素を製造するには、アルカリ水電解方式に利点があります。

 2016年7月14日、東芝は、アノードにニッケルなど、カソードに鉄などを用いて低コストで電極を大型化し、従来よりエネルギー効率の高いアルカリ水電解方式による水素製造装置を開発したと発表しました(出所:東芝がアルカリ水電解水素製造装置を開発、低コストでエネルギー効率の最適化に成功 | 新エネルギー新聞)。 同装置の水素製造能力は1時間あたり100N㎥で、燃料電池車2台分の燃料に相当するといいます。これが、現在国内メーカーのアルカリ電解方式による水素製造装置として最高スペックのものと言われています。ということは、1台の水素製造装置あたり、1時間に3台以上のFCVが水素を充填しに来たら水素が枯渇することを意味します。もし、立て続けに3台のFCVが水素をフル充填しに来たら、タッチの差でいちばん最後に来たFCVは、水素が製造されるまで30分近く待たなくてはいけないということです。

 つまり、水素充填の待ち時間を減らすためには何台もの水素製造装置を用意しなければなりません。さらに、水素を製造するために必要な電気代も余分にかかります。さらに、土地代などを含めれば、水素ステーション事業に莫大な初期費用がかかります。こんなのを手掛けたいと思う業者っているのでしょうか。

 ユーザーの側からすると、水素充填に待たされないことと燃費とがトレードオフの関係になります。確かに燃料電池車は、燃料充填時間が3分程度と、ガソリン車に比べて遜色ありません。近年、電池性能が向上し、EVの航続距離が飛躍的に伸びていることを鑑みれば、FCVの唯一の利点と言えるでしょう。しかし、水素の製造段階をも考慮すれば、それすらもどうも疑わしいのです。

 よくEVは充電に時間がかかるという人がいますが、水素充填にはこのようなデメリットもあるということもちゃんと公開した上で、フェアに論じなければならないのです。

水素の運搬方法について

 では、水素工場で製造された水素を充填貯蔵するオフサイト式水素ステーションの場合はどうでしょうか。この場合は、水素の輸送コストを念頭に入れなければなりません。

気体のまま輸送するのはどうか

 水素は、常温常圧で気体として存在するため、そのまま運ぶには莫大な体積を要し、効率が悪すぎます。したがって、水素を気体のままトラックで輸送することは困難(経済合理性の観点から事実上不可能)です。

 では、パイプラインを整備し、水素を気体のまま配管に流すことはどうでしょうか。

 水素パイプライン整備に莫大なインフラ投資が必要です。さらに、水素ガス特有の性質も考慮する必要があります。水素は、原子半径が小さいため金属材料に深く浸透しやすく、機械的特性を低下させます。これを水素脆化といいます。したがって、配管の劣化スピードが他の気体の場合に比べて著しく、莫大なランニングコストが必要です。莫大なインフラ投資とランニングコストを鑑みれば、パイプラインによって輸送された水素をエコカーの燃料として利用するには、経済的に釣り合わないでしょう。

水素を液化して運ぶのはどうか

 では、水素を液化して運ぶ場合はどうでしょうか。水素を液化させると体積は1/800になり、しかも軽いため、確かに低温貯蔵性には優れます。しかし、水素の沸点は、−252.6 ℃(常圧)で、絶対温度に換算すると約20Kです。因みに、冥王星の表面温度は平均約50Kとされています。したがって、冥王星より低い温度にしないと水素を液化することはできません。

 他の家電製品と比べて、夏場にクーラーにどれだけ電気代がかかるかを考えれば、水素を液化するのにどれだけの電気エネルギーを必要とするか容易に想像がつくでしょう。

 ロケット燃料など特殊な用途として水素を輸送する際に液化水素は適しますが、自動車などの民生品の燃料の輸送用途としては、コストが掛かり過ぎ、この場合もまた、経済的にとても釣り合いがとれないのです。

政府が掲げる水素輸送方法

 そこで、政府が、水素の輸送方法として掲げたのが、有機ハイドライドを用いた方法です。下の図は、有機ハイドライドを用いた水素キャリア構想の模式図です。

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 (出典:内閣府 有機ハイドライドを用いた水素輸送システム)

 有機ハイドライドとは、適当な触媒下で脱水素反応を起こす有機化合物のことです。シクロヘキサンやメチルシクロヘキサンなどの芳香族炭素化合物があります。シクロヘキサンが脱水素反応を起こせばベンゼンに、メチルシクロヘキサンが脱水素反応を起こせばトルエンになります。これらの逆反応、すなわち、ベンゼンやトルエンに水素付加反応を施せば、シクロヘキサンやメチルシクロヘキサンになります。化学反応式は次の通りです。

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 有機ハイドライドは常温で液体として存在し、液体水素のように冷却エネルギーも必要としないため、エネルギーキャリアの手段としてこれらを利用しようというわけです。

 政府の「水素タウン」構想では、トルエンを水素キャリアとして掲げました。では、果たしてこれが有効な手段となり得るのかについて考えます。

 まず、トルエンと水素の重量比について考えてみましょう。トルエンの分子量は、92.14です。一方、水素の分子量は、2.02です。トルエン1分子当たり、水素3分子がくっつきます。つまり、トルエンと水素との重量比は、15.2:1です。すなわち、水素を運ぶために、それより約15倍も重いものにくっ付ける必要があるということです。

 つまり、水素キャリアとしてトルエンを用いるという発想は、例えばコンビニのサンドイッチ1つ(内容量140g)を2.1kgの容器に入れて運んでいるようなものなのです。

 また、水素ステーションにおいてメチルシクロヘキサンを脱水素化した後、トルエンが残ります。残ったトルエンは水素キャリアとして再利用するために、水素工場まで運ばれます。ここが、ガソリン輸送との大きな違いです。

 ガソリン輸送なら、ガソリンスタンドにガソリンを充填するにつれ輸送車の重量は減っていきます。一方、有機ハイドライドによる水素輸送の場合、水素ステーションに水素を充填した後も、トルエンを輸送する必要があるため輸送車の重量がほとんど減りません。このような輸送方法に経済合理性が無い事は明らかでしょう。 

 また、トルエンは、俗にシンナーと呼ばれる有機溶剤の一種に数えられています。トルエンは、中枢神経麻痺作用があり、毒物及び劇物取締法により劇物に指定されています。

 水素を運ぶためにシンナーが街を行き交っている光景を想像したくないですね。このような光景をエコというには程遠いような気がするのですが、皆さんはどう思いますか?

 因みに、トルエンの代替としてベンゼンを水素キャリアに用いた場合はもっと危険です。ベンゼンは、発がん性物質としてWHOから勧告されており、日本でも、労働基準法・労働安全衛生法・環境基本法・水質汚濁防止法・廃棄物処理法など様々な法律によってその使用が規制されています。

まとめ

 2020年に、東京オリンピック・パラリンピックの開催が予定されています。開催に向けて、再生可能エネルギーで作ったCO2フリーの水素を遠隔地から輸送・貯蔵して、燃料電池自動車や燃料電池バスに供給するほか、競技場や選手村に設置した燃料電池システムで電力と熱を供給する計画がぶち上げられています。

 この「水素タウン構想」は、現在国策として進められていますが、東京オリンピックに向けて水素社会の実現を全世界に宣言してしまった以上、今さら引き下がるのは官僚として至難の業なのでしょう。その間、グローバルに視点を向ければ、北米・中国・欧州などで、どんどんEVシフトが加速していくことでしょう。

 そもそも、オリンピック開催に向けたこの水素タウン構想は、国民の多くが望んだことなのでしょうか。また、オリンピック終了後もこれを維持・拡大していくことに国民のコンセンサスが得られているのでしょうか。

 もしエクアドルの国民がそれを望むのであれば、いっそのこと「水素タウン」をガラパゴス諸島に移転してみるというのはどうでしょうか。しかし、ガラパゴス諸島の貴重な生態系が破壊されることを危惧して、彼らがそれを拒絶するのは間違いないでしょうね。