はじめに
日本国憲法に次のように書かれています。
日本国憲法第76条第3項
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
日本国憲法では、この独立性保持のため、裁判官には次のような強い身分保障がなされています。
日本国憲法第78条
裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。
「公の弾劾」とは、このように強い身分保障がなされた裁判官に重大な非行があった場合において、裁判官の身分を剝奪する特別の手続きです。具体的には、裁判官弾劾法で定められた裁判官弾劾制度のことを言っています。裁判官弾劾の機関については、日本国憲法第64条で次のように定められています。
日本国憲法第64条
国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法津でこれを定める。
1947年5月3日に日本国憲法が施行されてから現在に至るまでの70年間で、罷免訴追事件は9件で、このうち弾劾裁判所において罷免判決を受けた裁判官は7名です。
平均して10年に1人のペースです。裁判官の懲戒についても日本国憲法第78条で、行政機関からの独立性が保持されています。このように、日本国憲法によって、司法の独立性が保障され、裁判官に対して究極の身分保障がなされています。であれば、全ての裁判において、さぞかし公明正大な判決がこれまでなされてきたのであろうと筆者は思っていました。しかし、どうもそれが疑わしいと思われる事実が明るみになってきました。
高浜原発再稼働差し止め仮処分について
最高裁判所の裁判官も務められた、明治大学の瀬木比呂志教授という方がおられます。瀬木教授は、最高裁判所事務総局を頂点とするヒエラルキー型人事システムが、裁判官の判決内容を歪めている可能性について言及しています。わかりやすい例として、「原発再稼働の差し止めを求めた仮処分申請」があります。
大阪高裁の決定について
2016年6月17日
関西電力高浜原子力発電所3、4号機を巡り、大津地裁(山本善彦裁判長)は3月に同地裁が出した運転差し止めの仮処分決定に対し、関電が決定の効力を一時的に止めるよう求めた執行停止の申し立てを却下する決定をした。
2017年3月28日
関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めをめぐる保全抗告審で、大阪高裁(山下郁夫裁判長)は28日、差し止めを命じた昨年3月の大津地裁の仮処分決定を取り消し、運転を認める決定をした。
なぜ、こんなに簡単に覆ってしまうのでしょうか。 報道だけ見ていると、「裁判所の判断だから致し方ないだろう」と言いたいところですが、瀬木氏によると、どうも背後にからくりが存在するとのことです。
瀬木氏は大阪高裁の決定を予測していた!?
瀬木氏は、大津地裁の決定のほうがむしろ例外的で、高裁ですぐにひっくり返るだろうと予測されていました。その根拠として、2013年2月に司法研修所で開かれた、「原発訴訟についての裁判官研究会」の存在を挙げています。瀬木氏によると、この研究会には、国や電力会社寄りのいわゆる御用学者とも言うべき人が多数、講師として参加していたそうです。この研究会によって、最高裁の態度が「運転差し止め消極」の方向に定まったという空気をヒシヒシと感じ取ったそうです。大阪高裁の今回の決定は、最高裁の意向を忖度した結果に過ぎないという可能性が十分に考えられます。ちなみに、今回の決定を下した担当裁判官は、次期大阪地裁所長候補に名が挙がっているだとか。
福井地裁の例(画期的な判決はこうして潰される)
高浜原発3、4号機を巡って、周辺住民らが再稼働差し止めを申し立てた仮処分申請を福井地裁におこなった。福井地裁(樋口英明裁判長)は14日、再稼働を認めない決定をした。仮処分で原発の運転を禁止する決定は全国初となる画期的な判決。
(参照元『福井新聞』2015.04.14)
高浜原発3、4号機の再稼働を認めない決定をした福井地裁の樋口英明裁判長に関しては、外部の人間からもそれとわかるあまりにも露骨な人事が行われたと瀬木氏は指摘しています。仮処分で原発の運転を禁止する決定は全国初となる画期的な判決でした。ところがその後、樋口裁判長は名古屋家裁に異動になったそうです。瀬木氏によると、樋口裁判長のこれまでのキャリアからするとこの人事は考えられないとのことです。
代わりに、最高裁事務総局勤務経験者から3人の裁判官が福井地裁にやってきました。瀬木氏によると、最高裁事務総局勤務経験者が3人同時に同じところに来るというのは、宝くじレベルの確率だそうです。そして樋口裁判長の判決からわずか8か月後、次のような判決が下されました。
関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止めを命じた福井地方裁判所の仮処分決定を不服とし、関電が申し立てた異議について、福井地裁(林潤裁判長)は24日、異議を認め、仮処分決定を取り消した。
(参照元:『福井新聞』2015.12.24)
大飯原発3,4号機運転差止請求事件について
2014年5月21日、福井地裁(樋口英明裁判長)は、大飯原発3,4号機運転差止請求事件でも、再稼働を認めないとする判決を下しています。ここに、判決理由(一部抜粋)を記載します。
1 はじめに
ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命,身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には,その被害の大きさ,程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。
このことは,当然の社会的要請であるとともに,生存を基礎とする人格権が公法,私法を問わず,すべての法分野において,最高の価値を持つとされている以上,本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。
個人の生命,身体,精神及び生活に関する利益は,各人の人格に本質的なものであって,その総体が人格権であるということができる。
人格権は憲法上の権利であり(13条,25条),また人の生命を基礎とするものであるがゆえに,我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。
したがって,この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは,その侵害の理由,根拠,侵害者の過失の有無や差止めによって受ける不利益の大きさを問うことなく,人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。
人格権は各個人に由来するものであるが,その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき,その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。
これは、樋口裁判長とその他2名の裁判官がその良心に従ひ独立して(憲法第78条第3項)書いた判決文です。
まとめ
裁判官は良心に従ひ独立してその職権を行ふために日本国憲法によって強い身分保障がなされています。しかし、権力が一極集中し、人事権を強力に掌握されていたら、強い身分保障といえど全く意味をなしません。立身出世を望むというのはある意味人間の特性であり、それ自体は否定されるべきではありません。しかし、人事権というのは、裁判官の判断をも歪めてしまうくらい恐ろしい力を持っているのです。
企業においても同じです。大企業正社員は強い身分保障がなされています。その一方で、大企業正社員の場合、広範にわたる人事権が使用者に強力に付与されています。この点においては、裁判官と非常に類似したところがあります。
しかし、裁判官として生きていくためには最高裁判所を頂点とするたった一つのヒエラルキー組織に組み込まれなければなりませんが、会社員は違います。会社など掃いて捨てるほどたくさんあるからです。それにもかかわらず、たった一つの会社に忠誠を誓い、人事権の行使に日々怯え、良心と闘いながら40年近くを過ごすことにどれほどの意味があるというのでしょうか。