- はじめに
- マズローの欲求段階説からこの問題について考える
- マズローが提唱した5種類の欲求
- マズローの欲求段階説を、職業生活という観点から眺めてみる
- トイレに行く時間もないくらい忙しい職場について
- 長時間労働の現場について
- 電通で過労自死した高橋まつりさんについて
- まとめ
はじめに
パナソニック森田工場に勤めていた上田浩志さんは、2015年10月20日、夜勤明けの帰宅途中に意識を失い、くも膜下出血で死亡しました。福井労働基準監督署は長時間労働による過労が原因とし、今年1月31日付で労災認定しました。亡くなる前の2カ月間の時間外労働は83時間と81時間といい、厚生労働省の過労死認定基準「発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合」に該当します。発症前の上田さんの労働密度は極めて高く、「トイレに行く時間もない」と母親に語っていたそうです(参照元:『福井新聞』)。生命維持に必要な行為を行えないくらい労働密度が高い職場は許されません。
マズローの欲求段階説からこの問題について考える
みなさんはマズローの欲求段階説というのをご存知でしょうか。アメリカの心理学者マズローが提唱した、行動科学理論のひとつです。
マズローは、
- 人間の欲求には次元の異なる5種類の欲求があり、より低次元の欲求が満たされるのに伴い、高次元の欲求が顕在化する
- 低次元の欲求ほど緊急性が高いため、それが充足されない限り、高次元の欲求への動機づけにならない
と唱えました。マズローの欲求段階説は、人間がやる気を引き出す上のモチベーション(動機づけ)の要因について、行動科学的に分析したものです。では、マズローが提唱した5種類の欲求について、具体的に見てみましょう。
マズローが提唱した5種類の欲求
①生理的欲求
最も低次元の欲求で、他のどの欲求よりも基本的な動機付けとなります。食事や睡眠、排せつといった、生命維持のための基本的欲求であり、通常の健康体であれば、直ちに次の欲求が出現します。
②安全の欲求
危険回避のための欲求です。例えば、雨風をしのげる家に住みたいとか、健康状態を維持したいという欲求、事故を防止したいという欲求などです。ブラック企業に就職したくないという欲求も安全の欲求に該当します。
③社会的欲求
生命が維持され、安全が確保されれば次なる欲求が出現します。集団に帰属し、他者に受け入れられたいという欲求です。友情や愛情を深めたいという欲求も含まれます。自分を社会の一員として存在させたいという欲求とも言い換えられるでしょう。就職活動において内定を得たいという欲求も社会的欲求に該当します。したがって、就職活動で内定を得たところがブラック企業であったら、安全の欲求を満たすために、②に逆戻りすることになります。
④承認の欲求
ひとたび集団に帰属し、他者に受け入れられれば、他者から認められたいという欲求が直ちに出現します。他者からの承認のみならず、自分の技術・能力を高め達成感や充実感を希求することも含まれます。
⑤自己実現の欲求
技術や能力を高め、他者からの承認が得られれば、次なる段階の欲求が出現します。能力を最大限に発揮し常に創造的でありたいとする欲求です。マズローの欲求段階説のうちで最高位の欲求であり、持続的で強い動機付けの要因となります。但し、自分に適したことをしていない限り、この欲求が満たされることはありません。
マズローの欲求段階説を、職業生活という観点から眺めてみる
①・②が満たされていることを前提として、職業生活はまず③から入ることになります。具体的には、就職活動を経て面接をし認められ、会社や組織に帰属し、仲間に受け入れられることからスタートします。この段階で、③の社会的欲求が満たされた状態と言えます。
職業生活がスタートすれば、何らかの仕事が与えられるはずです。例えば、営業の仕事が与えられたとしましょう。営業マンは自社の商品やサービスの知識を深め、顧客とのコミュニケーションスキルを高め、成績を上げたいと努力するでしょう。そうして、優秀な営業マンとして他者から認められ、出世も叶ったとします。この段階で、④の承認の欲求が満たされた状態であると言えます。
これまでは、個としてどうあるべきかについての欲求に基づいていました。しかし、そうして地位や名声を手に入れれば、他者や全体に対する思考を始めるようになります。つまり、これまで培った営業マンとしての知識や能力を如何なく発揮して、組織全体として営業成績の底上げにつなげるにはどうあるべきか、部下を育てるにはどうしたら良いか、あるいは、もっと広く言えば、社会にどういった貢献ができるのか、そういった個の枠組みを超えた欲求が発生します。これが自己実現の欲求です。
皆さんは、だいたい以上のようなことを思い描きながら職業生活を歩みたいと考えているのではないでしょうか。 しかし、もしこの歩みと逆行するような現象が発生した場合人間はどうなるでしょうか。
トイレに行く時間もないくらい忙しい職場について
トイレに行くという行為は、生命維持のために必要な行為です。したがって、①の生理的欲求が満たされていない状態になります。働くということは、元来は③からスタートし社会的欲求が満たされ、より高次元の欲求を充足しようとすることが動機づけとなっていたはずです。その段階にあって①が満たされなくなった場合はどうすればよいのでしょうか。マズローの欲求段階説によれば、生理的欲求が満たされないままに承認の欲求や自己実現の欲求が満たされることは、絶対にありえないとされています。その場合は、生理的欲求すなわちトイレに自由に行けるよう改善してもらうか、職場を辞めて一つ手前の状態に戻り、再び社会的欲求を満たすことからスタートするしかありません。
長時間労働の現場について
次に長時間労働に陥るとどうなるのかについて考えます。最近の医学的知見から、時間外労働が月45時間を超えると、超過した時間に反比例する形で睡眠時間が短くなると言われています。睡眠時間が1日5時間未満になると、業務による疲労の蓄積が起こりやすくなり、脳血管疾患・虚血性心疾患の発症リスクが高まります。すなわち、長時間労働によって睡眠時間が削られているという状態は、①の生理的欲求が満たされていないことになります。
この状態でどんなに努力しても、より高次元の④・⑤の欲求が満たされることは絶対にありません。したがって、このような場合、睡眠時間が確保できるよう改善してもらうか、その会社を辞めて③に立ち戻るほかありません。
電通で過労自死した高橋まつりさんについて
電通に入社し一昨年のクリスマスに過労自死した高橋まつりさんのTwitterへの書き込み(12月9日)に次のようなものがあります。
(参照元:https://vipper-trendy.net/dentsu-saigo15/)
はたらきたくない1日の睡眠時間2時間はレベル高すぎる
1日2時間の睡眠時間では、①の生理的欲求を満たすことはできません。行動科学の常識から言って、鬼十則という精神論をどんなに振りかざしても、クリエイティブな仕事ができないことは明らかです。
まとめ
そもそも何のために自分は働いているのかという疑問に至った場合、行動科学の理論に立ち戻ると参考になると思います。特に、マズローの欲求段階説は人間の向上心や動機づけといった行動原理について見事に説明しています。仕事をしていて「自分は睡眠不足で生理的欲求すら満たされていない状態だなあ」と疑問に思ったら、直ちに③の社会的欲求の充足に固執することを辞め、生命維持のため①の生理的欲求を充足することに専念すべきです。また、「ブラック企業に就職してしまって危険だなあ」と思ったら、直ちに③の社会的欲求の充足に固執することを辞め、②の安全の欲求を充足することに専念すべきです。
行動科学の常識から言って、長時間労働や精神論的威圧でもって企業業績が伸長し、ブラック企業がブラック企業でなくなることは決してあり得ないのです。