はじめに
6月30日に厚生労働省が公表した「平成28年度 過労死等の労災補償状況」によると、労災支給決定件数のうち「精神障害に関する事案」が過去最多となりました。
パワハラと長時間労働の併存が理由として考えられます。なぜなら、長時間労働は心身の疲労を増幅させストレス対応能力が低下するからです。
神戸市の製菓会社の過労自殺について
一昨日、神戸新聞が次のような報道をしました。
神戸市内の製菓会社に勤務し、昨年6月に自殺した前田颯人さん=当時(20)=の母親が今年9月、「長時間労働に加え、パワーハラスメントで鬱(うつ)を発症していた」として、兵庫県西宮市の西宮労働基準監督署に労災補償を申請していたことが5日分かった。
颯人さんは高校卒業後、製菓会社に入社。工場でチョコレートなどの製造ラインで勤務していた。タイムカードを基に超過(時間外)勤務の時間を算出すると、始業時刻前から操業準備に入っていたことなどを含め、2015年9~12月は月87~109時間の超過勤務があったと主張する。
さらに、上司から執拗(しつよう)なパワハラを受けていたといい、同年12月に鬱を発症したとする。通院歴はないが、食欲が減退し、部屋に閉じこもりがちに。趣味のツーリングにも行かなくなるなど鬱の症状が現れており、颯人さんは友人に「鬱かもしれん」とメールを送っていた。
(参照元:『神戸新聞NEXT』2017.11.06)
長時間労働と上司からのパワハラとの併存が疑われる事例です。以下、本件についてもう少し詳細に考えます。
製菓会社の始業時刻について
製菓会社の関係者によると、この工場では始業時刻の1時間~1時間半くらい前の出社が慣例になっているといい、颯人さんが定刻の30分前に出勤しても上司から「社長出勤やなあ」と叱られていたという。
(参照元:『神戸新聞NEXT』2017.11.06)
「始業時刻の1時間~1時間半くらい前の出社が慣例になっている」のであれば、始業時刻を1時間~1時間半くらい前に改定すればよいだけの話です。会社は、なぜそれができなかったのでしょうか。
では、始業時刻前に出社し、準備作業等で働いた分をどのように捉えたらよいかを考えます。これについては、次の最高裁判例が参考になります。
最一小決平12.3.19 三菱重工業長崎造船所事件
そもそも労働基準法32条の労働時間とは、使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、この時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価できるか否かにより客観的に定まるのであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではない。
この最高裁判例に基づけば、始業前の準備作業であっても、使用者の指揮命令下にある限り、労働時間にカウントされます。始業時刻の1時間~1時間半くらい前に出社し労働すれば、その分は始業前残業時間にカウントされます。すなわち、残業とは、所定労働時間外に労働することであって、終業時刻後に労働することとは限らないのです。
なお、所定労働時間が1日の法定労働時間(=8時間)に一致する場合、残業は時間外労働に合致し、労働基準法37条の規定により割増賃金の支払いを使用者は義務付けられます。この場合の割増率は25%以上と定められています。もし、この義務を使用者が怠っていれば、労働基準法違反です。
使用者とは
神戸新聞によると、颯人さんが定刻の30分前に出勤しても上司から「社長出勤やなあ」と叱られていたといいます。
よく会社で、社長出勤や重役出勤という言葉が用いられます。では、これらをどのように捉えたらよいでしょうか。これは、労働基準法における使用者の概念と深く関わりがあります。
労働基準法10条に使用者の定義があります。
労働基準法10条
この法律で使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいう。
下線部の言葉の定義をそれぞれ以下に述べます。
「事業主」
事業主とは、法人の場合は法人そのもの、個人事業の場合は事業主個人を意味します。例えば、電通であれば、事業主は電通という会社そのものです。
因みに電通事件では、高橋まつりさんをはじめ従業員に対し36協定違反の違法長時間労働を行わせていたとして使用者責任が問われ、法人としての電通に有罪判決(罰金50万円)が下されました。
「事業の経営担当者」
いわゆる経営者のことです。法人の代表者を筆頭に、取締役、理事、支配人などのことを意味します。
「事業主のために行為をするすべての者」
人事・給与・厚生などの労働条件の決定や労務管理の実施等について一定の権限を有し、責任を負う者(人事部長・労務課長など)のことを意味します。
解釈例規としては、昭22.9.13発基17号に、
使用者とは、労働基準法各条の義務についての履行の責任者をいい、その認定は、部長、課長等の形式にとらわれることなく、実質的に一定の権限を与えられているか否かによる。単に上司の命令の伝達者にすぎない場合は使用者とされない。
とあります。すなわち、この場合の使用者は、職位によって定まるのではなく具体的事実によって定まります。すなわち、相対的概念です。
社長出勤・重役出勤について
社長や重役はもちろん使用者に該当します。先ほどの判例にあったように、労働基準法32条で言うところの労働時間(法定労働時間)は使用者の指揮命令下にあるか否かによって定められるので、使用者自身には法定労働時間という概念が存在しません。
法定労働時間という概念が存在しなければ、始業時刻や終業時刻によって労働時間管理する必要もありません。したがって、使用者が何時に出社しようと遅刻扱いされることはありません。
これが、いわゆる「社長出勤」・「重役出勤」のあらましです。
したがって、労働者である颯人さんが始業時刻の30分前に出勤して、上司から「社長出勤やなあ」と叱られる筋合いは全くありません。
パワハラについて
規格外のチョコレートは牧場に提供するため、上司から「また牛のえさをつくってるんか」などと大声で怒鳴られた。叱責(しっせき)は毎日のように続き、会社を辞めたいと伝えると「辞めたらもうおまえの学校(卒業校)から採用しない」などと言われ、工場内で泣いていたこともあったという。
(参照元:『神戸新聞NEXT』2017.11.06)
赤字で示した部分が、業務指導の範囲を逸脱した発言にあたる可能性があります。
パワハラの強度の定量化について
では、厚生労働省が、心理的負荷による精神障害の労災請求事案について、上司からのパワハラの強度をどのように定量化するのかについて説明します。
心理的負荷による精神障害の労災請求事案については、平成23年12月26日基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準」に基づいて行われます。
精神障害の労災請求事案の基本的な認定の流れについては、下記記事において詳しく述べています。ぜひ参照ください。www.mesoscopical.com
認定基準別表1の「業務による心理的負荷評価表」は、心理的負荷が認められる具体的な出来事として36種類の項目を限定列挙し、その強度が強・中・弱と判断される具体的事例を例示しています。今回は、上司からのパワハラに焦点を絞り、その強度の定量化について論じます。
なお、上司からのパワハラには、
- 上司からの嫌がらせ・いじめ・暴行
- 上司とのトラブル
という2種類の項目があります。
上司からの嫌がらせ・いじめ・暴行について
上司から嫌がらせ・いじめ・暴行の態様に応じて、心理的負荷の強度が「強」・「中」の2種類があります。では、具体的にどのような場合が「強」あるいは「中」と判断されるのかを考えます。
強と判断される場合
- 部下に対する上司の言動が、業務指導の範囲を逸脱しており、その中に人格や人間性を否定するような言動が含まれ、かつ、これが執拗に行われた。
- 治療を要する程度の暴行を受けた。
上司から治療を要する程度の暴行を受けた場合、無条件で「強」と判断されます。
上司からの暴言の場合、
- 人格や人間性を否定するような言動が含まれているかどうか
- これが執拗に行われているかどうか
の2つが論点となります。
中と判断される場合
- 上司の叱責の過程で業務指導の範囲を逸脱した発言があったが、これが継続していない。
すなわち、暴行や人格否定につながる暴言とまではいかないものの、上司からの行き過ぎた叱責が断続的にあった場合、「中」と判断されます。したがって、当該叱責が、業務指導の範囲を越えていたか否かが論点となります。
上司とのトラブルについて
強と判断される場合
- 業務をめぐる方針等において、周囲からも客観的に認識されるような大きな対立が上司との間に生じ、その後の業務に大きな支障を来した。
すなわち、
- 当該対立が周囲からも客観的に認識されるものであったか否か
- 当該対立によって業務に大きな支障をきたしたかどうか
の2つが論点になります。
中と判断される場合
- 上司から、業務指導の範囲内である強い指導・叱責を受けた
- 業務をめぐる方針等において、周囲からも客観的に認識されるような対立が上司との間に生じた
すなわち、
- 上司からの指導・叱責が強いものだったか
- 上司との対立が周囲に認識されていたか否か
の2つが論点になります。
弱と判断される場合
- 上司から、業務指導の範囲内である指導・叱責を受けた
- 業務をめぐる方針等において、上司との考え方の相違が生じた(客観的にはトラブルとはいえないものも含む)
この場合の論点は、
- 上司から指導・叱責を受けたかどうか
- 上司との考え方に相違が存在したかどうか
の2つです。
パワハラの強度と長時間労働との関係
パワハラの強度が「強」と判断されれば、パワハラ発生前後の時間外労働の時間数に関係なく労災が認定されます。
しかし、パワハラと長時間労働が併存している場合、パワハラの強度が「中」や「弱」であっても、労災が認定されます。
その仕組みは次の通りです。
- パワハラの発生前後に月100時間程度の時間外労働が認められる場合⇒パワハラの強度に関係なく労災が認定されます。
- パワハラの発生前あるいは発生後のいずれかに月100時間程度の時間外労働が認められる場合⇒パワハラの強度が「中」以上の場合に労災が認定されます。
- パワハラの強度が「強」の場合⇒時間外労働の程度に関係なく労災が認定されます。
すなわち、パワハラ発生前後に月100時間程度の長時間労働があったか否かが論点とされます。
神戸新聞によると、颯人さんの1カ月間の残業は最大109時間に上ったとあります。労基署によってこれが認定された場合、上記の原則から、パワハラが中程度であっても労災が認定されることになります。
まとめ
神戸新聞によると、颯人さんは友人に「鬱かもしれん」とメールを送っていたそうです。亡くなった颯人さんは、おそらくこのようなブラック企業から不当な扱いを受けながら、辞めることもせずに極限まで我慢をしてしまったのでしょう。
颯人さんは、正社員だったと報道されていますが、例え正社員でも、我慢することはもはや美徳ではありません。我慢し続けると心身のバランスを崩し、行為選択能力が阻害されます。最悪の場合、うつ病などの精神障害に至ります。
そうなる前に、ブラック企業を一刻も早く辞めて、より良い職を求めて欲しいと筆者は考えます。
一口にブラック企業と言っても、労働基準法違反を繰り返す企業、パワハラが横行している企業など様々なものがあります。ブラック企業に明確な定義は存在しませんが、労基署から是正勧告されたり書類送検されるような企業は間違いなくブラック企業です。
では、パワハラについてはどうでしょうか。どんなパワハラを受けたら、その事業所がブラック企業に該当するのかを判断することは非常に難しいと思います。しかし、今回紹介した、労災認定基準におけるパワハラの定量化の手法は一つの参考になると思います。
まず、上記の判断指針において、「強」に該当するようなパワハラを受けている場合、有無を言わずに一刻も早くその会社を退職すべきと考えます。
また、パワハラの程度が「中」や「弱」であっても、月100時間程度の時間外労働を強いられているようであれば、いつうつ病に陥ってもおかしくありません。病気になる前に、当該ブラック企業を一刻も早く退職すべきでしょう。
このように厚生労働省の判断指針を参考にするのも、ブラック企業から身を守る方法の一つです。
その他に、ブラック企業の企業名を積極的に晒すこともブラック企業から身を守る方法として重要です。
2017年から、厚生労働省は、労働基準法違反によって労基署から書類送検された企業の企業名をホームページ上でリスト化し公開しています。
しかし、今回の事例は、送検事案ではなく労災請求事案です。したがって、厚生労働省が企業名を公表することはありません。実際に、神戸新聞の記事には、「神戸市内の製菓会社」としか記載されていませんでした。
ところが、産経新聞の記事には、
「ゴンチャロフ製菓」
と企業名が記載されていました。
皆さん、いいですか、企業名は
「ゴンチャロフ製菓」
です。
産経新聞さん、GJ(グッド・ジョブ)です。これからもその報道姿勢であり続けてください。