はじめに
日経新聞朝刊は次のような記事を記載しました。
厚生労働省は2020年にも従業員の残業時間の公表を大企業に義務付ける。企業は月当たりの平均残業時間を年1回開示するよう求められ、従わなければ処分を受ける。対象企業は厚労省が企業情報をまとめたデータベースや企業のホームページで年1回開示する(参照元:『日経新聞』)。
筆者は、これをとても興味深い制度と考えています。しかし、月当たりの平均残業時間を1年に1回開示するのであれば、月次別の平均残業時間を1年に1回開示すればよいと思います。敢えて平均の平均をとる必要はないからです。これにより、時季による繁閑の差が見て取れ、わかりやすいと思います。36協定の特別条項との整合性もよくわかると思います。
平均残業時間の公表について
それぞれの企業の労働実態を外部から見えやすくし、過度な長時間勤務を未然に防ぐ狙いがある。従業員の平均値を年1回示すだけなので細かな労働実態をつかみにくい面もあり、経営者の理解を得ながら実効性ある仕組みをつくれるかどうか問われる(参照元:『日経新聞』)。
日経新聞の記事には、「細かな労働実態をつかみにくい」とあります。 確かに、月平均残業時間の開示を義務付けるのは良いことですが決定的に抜けているところがあります。従業員の残業時間の分布です。正規分布に従うものと仮定すれば、平均値と標準偏差のデータから過労死ライン超で働く人の割合がわかります。過度な長時間勤務を未然に防ぐ狙いがあるのであれば、平均値だけでなく標準偏差の開示義務も課すべきでしょう。
足し算や割り算が負担となる大企業は存在しない
企業にとっては労務管理の事務が増えることになり、労政審では経営側から慎重論も出そう。残業時間を他社と並べて相対的に比べられることへの心理的な抵抗もある。職場の生産性を高める効果も期待されるが、負担が増す企業側の反発も予想される(参照元:『日経新聞』)。
日経新聞には、「労務管理の事務が増える」・「負担が増す企業側の反発も予想される」・「心理的な抵抗」とネガティブな表現の羅列がありますがこの印象操作はいただけません。手計算でもあるまいし、これだけコンピュータが発達している昨今にあって、この程度の解析を負担とする大企業は通常考えられません。また、相対的に比べられることを心理的な抵抗と言うならば、決算も何も発表できなくなってしまいます。
中小企業について
新たな規制は、労働法制では大企業とみなされる従業員数301人以上の約1万5千社が対象。従業員300人以下の中小企業については罰則を伴わない「努力義務」にとどめる方向だ(参照元:『日経新聞』)。
筆者はあまりに小さすぎる事業者(例えば従業員数5人とか)まで開示を義務付けることは適切でないと思います。小規模事業者の中には、ホームページが開設されていないところもあり、同制度により、ホームページの開設まで義務化することはそれこそ負担でしょう。近所の八百屋さんお肉屋さんにまで、従業員の平均残業時間を開示するというのはやりすぎでしょう。
しかし、一定程度の規模を有する法人には開示を義務付けるべきと筆者は考えます。そのためどこかで線引きをしなければならないのですが、厚労省は当面は中小企業法で定める中小企業を規制の対象外とし努力義務に留めたのでしょう。
ところで、先日、中小企業に該当しない企業が労働時間関係の法違反によって監督署から是正勧告を受けた場合、一定の要件を満たせば、送検を待たずに企業名が公表される新制度を紹介しました。
新制度を導入する際は、まずは社会的影響力の大きい大企業から導入されることが多いのですが、この是正勧告段階での企業名公表の制度も中小企業まで対象拡大されないとは言えません。同様に、残業時間公表の義務化もまずは大企業で導入する予定ですが、その後中小企業まで対象拡大されないとまでは言い切れません。
なお時間外労働の割増賃金については、1か月の時間外労働が60時間超の労働者に対し50%の割増率が適用されるという法改正がなされたことがあります。この法改正においても、まずは大企業において導入し、中小企業は適用除外とされました。しかし、中小企業については、平成34年4月1日からこの規定が適用されることになっています。
罰則規定について
虚偽が疑われるような情報しか出さない企業にはまず行政指導を実施。悪質な場合には最大20万円のペナルティーを科す(参照元:『日経新聞』)。
罰則規定を設けるのは良いことだと思います。しかし、20万円という罰金は企業にとって痛くもかゆくもない数字でしょう。筆者は、それよりも、虚偽の平均残業時間を公表した企業の企業名の公表というペナルティーも課すべきと考えています。正しい数字を提示している企業との均衡を考慮すればそれくらい当然です。
非正規社員について
正社員と非正規社員を分けるかどうかなど詳細な仕組みの議論を労働政策審議会(厚労相の諮問機関)で来年始める(参照元:『日経新聞』)。
派遣労働者については、労働者派遣法44条2項との整合性から、派遣元事業主において公表すべきでしょう。また、短時間労働者(パート・アルバイト)については公表しないか、別立てで公表すべきと考えます。パート・アルバイトの残業時間まで含めてしまうと、正社員の長時間労働の実態が正確に把握しづらくなるからです。例えば、1日の所定労働時間が4時間の短時間労働者の場合、労働時間が4時間を超えれば、その超えた分を残業といいます。長期間労働の実態把握に短時間労働者の頭数まで含めてしまうと、現実と乖離してしまうのです。
正社員と同様の所定労働時間で働いている契約社員については、非正規社員であっても、公表の人員にカウントすべきでしょう。
労働生産性その他について
残業時間を公表することで、企業が業界他社を互いに意識し合ったり、時間外労働を減らす新たな動機づけになったりすると厚労省は見ている。学生が就職活動で企業を選ぶ際の判断基準になるとも期待される(参照元:『日経新聞』)。
その通りだと思います。1年に1回、ひと月当たりの平均残業時間を公表するということは、その年の労働投入量を計算できます。
年間労働投入量
=従業員数×(1日の所定労働時間×年間所定労働日数+ひと月当たりの平均残業時間×12)*
(*正確には休暇・欠勤も考慮)
です。その年の企業の利益を年間労働投入量で除せば、その年の企業の労働生産性がざっくりと計算できます。同業他社の労働生産性が一目瞭然となれば、企業の労働生産性向上のためのインセンティブにつながることは明らかでしょう。就活生にとっても、労働生産性を比較すれば、どの企業が優良企業なのか一目瞭然なので大変良いと思います。
まとめ
厚労省が、大企業の平均残業時間の公表義務化の方針を固めたことは大変良いことだと思います。筆者が最も注目しているのは、この制度によって企業の労働生産性が一目瞭然になることです。狭義には労働関係法令違反を繰り返す企業をブラック企業といいますが、広義には労働生産性が極めて低い企業をブラック企業ということもできます。この制度が円滑に運用できれば、ブラック企業の市場からの秩序ある退出に繋がるものと期待できます。