ノーベル物理学賞受賞者中村修二教授の言葉
最初に、青色発光ダイオードの発明で2014年度ノーベル物理学賞を受賞した、中村修二カリフォルニア大学教授の言葉を紹介します。
周囲の人間は、単に会社を辞めることが、まるで大罪を犯すようなこととして必死に諫めてくる。
本人の意志や背景、事情なども理解した上で、なお「会社を辞めるのは良くないことだ」と説得してくるのだ。ところが、彼らの言い分を聞いていても、どうも説得力がない。
「我慢していれば必ず報われる」のどこにそんな根拠があるというのだろうか。同じ会社にずっと居続けることが、自分を偽り続けることよりも価値があるとは私にはどうしても思えない。
つまり、止めている人間たちが、こうしたことをあまり深く考えず、社会観念や慣習のようなムードに流され、一般論として「会社を辞めるのは良くない」と言っていることが多いのだ。
これは、中村修二教授が著書「好きなことだけやればいい」(2002年)の中で語った一節です。この著書は、今から15年前に書かれたものです。当時は今よりもっと終身雇用の慣習が色濃く残っていました。しかし今にも通じる、核心を突いた言葉です。さすがノーベル賞受賞者だけあって、その先見の明たるや凄まじいものがありますね。
中村修二教授の言う「社会観念や慣習」とは何か
中村修二教授の言う「社会観念や慣習」とは何を意味するのでしょうか。これは、現代風に言えば、「社畜発生のメカニズム」と深くかかわりがあります。
解雇権濫用法理こそが諸悪の根源
日本型雇用システムにおける全ての部分の基礎となっているのは、解雇権濫用法理です。これは、労働者がいったん就職した企業を辞めないで勤勉に働き続ける見返りとして、使用者は経営危機に陥らない限り解雇しないというコミットメントの相互交換に過ぎません。解雇権濫用法理とは、民法の解雇自由の原則に権利濫用の制限を判例ベースで付け加えたものです。因みに、労働基準法は産前産後や業務災害の場合を除き、解雇を禁止していません。
解雇権濫用法理は、内部労働市場の発展過程にあった高度経済成長期に成立し、大企業の正規従業員を中心に慣行化していきました。しかし、この判例法理をベースとする日本型雇用システムは、企業の経営危機が相次ぎ、少子化等で内部労働市場の縮小過程にある現代では、有効に成立しません。にもかかわらず、未だ旧態依然とした慣例だけが色濃く残っている形となっています。
コミットメントの交換とは具体的に何か
コミットメントの交換ということは、使用者は長期雇用を保障する代わりに、労働者に何かを期待しているはずです。使用者は労働者に対しいったい何を期待しているのでしょうか。
使用者は、経営上の要請から、雇用調整を必ず行わなければなりません。いったん雇用した従業員を定年まで雇い続けなければならないとなると、使用者はどうやって雇用調整を行うのでしょうか。以下、この点について説明します。
①配置転換
日本型雇用システムの下では、使用者は配置転換命令権を獲得しています。配置転換とは、同一事業所内での職務内容の変更および勤務地そのものの変更の双方を含む概念です。したがって、大企業正社員として定年まで雇用され続けるには、職務内容や勤務地の無制限の変更を甘受しなければなりません。経理や技術畑の人が、営業に配置換えになったり、首都圏勤務の人が地方勤務になったりすることはざらにあります。大企業ほど各方面において雇用吸収力があるので、そういったことは頻回にわたります。
②出向
大企業の多くは、企業グループを形成しています。事業規模が大きいほど、子会社の数が多く業態は多岐にわたります。日本型雇用システムの下では、使用者は出向命令権も獲得しています。したがって、使用者は、労働者の承諾なしに子会社への出向を命じることができます。
中には、好不況にかかわらず、雇用調整を名目に恣意的な人事が行われることもあります(例:会社に貢献したのにもかかわらず子会社へ出向させる;マイホームを購入した途端に片田舎への転勤を命じるなど)。恣意的な人事は、ドラマ半沢直樹でも話題になりましたね。
③その他の雇用調整
その他には、新規採用の停止*、一時帰休などがあります。(*新卒一括採用は、重大な社会問題へと繋がる可能性があります。一生に一度しか切れない新卒カードの相場が、ときの経済状況に合わせて変動するからです。就活生にとって生年月日だけは本人には如何ともし難い属性です。)それでも、対処できなければ、最終的にはリストラを断行することになります。
現在の労働法制では、指名解雇は認められていません。一部の電機メーカーで行われたように、事実上の指名解雇であるにもかかわらず労働者を自己都合退職へと追い込もうとした脱法行為が、いわゆる追い出し部屋の問題です。
④残業時間による雇用調整
上記は、経済不況が訪れたときの主な雇用調整です。好景気が訪れたときはどうなるでしょうか。他国だったら、人を雇用して対処するでしょう。しかし、日本では解雇権濫用法理があるためにそう単純にはいきません。日本では、好景気が訪れても新卒採用を除けば正規従業員を雇用することをあまりしません。なぜならば、再び不況が訪れ、余剰人員が発生した時でも、柔軟に正規従業員を解雇できないからです。
その代わりに現在抱えている従業員の労働時間を増やすことで、好景気によって著しく増大した業務量の調整に対処します。それを可能とするために、労使が協調し、高度成長期において労働基準法を修正して作り上げていったものが、特別条項付き36協定です。現行法では、同協定さえ労使で締結してしまえば、使用者は事実上青天井で労働者を働かせることができます。したがって、好景気には長時間労働が多発します。
現在、政府の働き方改革において、時間外労働の上限規制をめぐって議論となっています。しかし、筆者が「単に時間外労働の上限規制をしただけでは長時間労働の抑制としては有効に機能しない」と主張しているのは、雇用調整のあり方が未だ解決していないからです。
したがって、長時間労働の問題を根本的に解決する唯一の手立ては、金銭解雇のルールを明確化することです。
年功序列賃金について
以前、年功序列賃金は、若い人たちほど働きに見合った正当な報酬がもらえず、その一部が中高年の高額な給料に流れていることについて説明しました。
しかし、なぜこのような不合理な賃金体系が罷り通っているのでしょうか。それは、配転や出向によってキャリアの不連続性を余儀なくされたときに、経済的損失を防ぐ必要があったからです。したがって、高度成長期では若いころの働きを中高年において清算することができましたが、縮小経済の現代において、若い人が中高年になったときにその損失分を清算出来るかどうかは不透明です。
まとめ
ここで、中村修二教授が抱いた疑問を再掲します。
「我慢していれば必ず報われる」のどこにそんな根拠があるというのだろうか。
筆者の答えは次の通りです。
確かに、高度成長期では我慢していれば報われましたが、現代では、そんな根拠はどこにもありません。
また、我慢の内容は次の通りです。あくまで、解雇規制の強い大企業正社員の話です。
- 職務内容が不明瞭
- 勤務地が不明瞭
- 子会社への出向の可能性
- リストラで対応できなければ追い出し部屋の可能性
- 好景気のときに長時間労働が多発
- 雇用調整を名目にした恣意的な人事を回避するための日々の精神的緊張
将来報われるかどうかわからない経済的便益を得るために自分を偽り続けることができるなら、終身雇用・年功序列の道へとひた走ればよいでしょう。