Mesoscopic Systems

働くルールを理解してこれからの働き方について考えよう!

残業しなければならないように労働社会が設計されたのは過去の話

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はじめに

下記東京新聞の記事においては、随分と次元の低いロジックが展開されています。

www.tokyo-np.co.jp

残業が合理的に機能したのは高度経済成長期までです。

現在では、とても合理的なシステムとは言えません。

残業について

そもそも残業とは何か?

残業とは、かつて経済成長が著しい頃に定着した、内部労働市場による雇用調整の一環です。

このうち、業務の繁閑に応じて、労働時間の長短で対応させているのが「残業」です。

「残業」の他に、内部労働市場における雇用調整として、出向・配転があります。

出向とは、企業グループを形成する大企業の正規従業員が、子会社の指揮命令のもとで働くことを言います。

配転とは、勤務地の変更および業務内容の変更の双方を含む概念です。

使用者は出向命令権を獲得しており、正規従業員に対しては承諾なしに無制限に出向命令を発令することができます。

また、使用者は正規従業員に対して無制限の配転命令権も獲得しています。 

残業も然りです。

残業が雇用調整の一環である以上、使用者からの時間外勤務命令があって始めて成立するものです。

その反対も然りです。

使用者から、残業禁止命令が発令されていれば残業をしてはいけません。

この辺をちゃんと理解しないと、残業に関してとんでもなく誤った認識に至ってしまうのです。

なぜ現代において残業がうまく機能しなくなってきたのか?

確かに、生産年齢人口比率が高かった高度経済成長期には内部労働市場による雇用調整が有効に機能していました。

なぜなら、当時は有り余るほどの労働力の供給が可能で、同時に経済が右肩上がりの成長をし続け労働力の需要もたくさんあったからです。

すなわち当時は、内部労働市場のみでも、どちらかに需給が偏重に傾くこともなく、労働力の需給調整がうまく機能していました。

しかし、現代では、生産年齢人口比率がどんどん下がり続け、今後も下降の一途を辿ることが予測されています。

その一方で、経済情勢がVUCAの世界に突入していると言われ、ますます混迷の度を深めています。

すなわち、経済の大幅な変動に内部労働市場に基づく労働力の調整機能が追い付かなくなってしまったのです。

このような状況下で、高度経済成長に成立した雇用システムが果たして通用するでしょうか?

このままずるずるとこの日本型雇用システムを維持し続ければ、今後ますます時代背景にそぐわなくなっていくのは明らかです。

そこで、このまま放置すると労働力の需給調整が破綻しかねないということで始まったのが現在の働き方改革です。

 

健康面について

医学的な見地から、月の時間外労働が45時間を超えて長時間に至るほど、過労死の危険性が徐々に強まるとされています。

この理由から、厚生労働省では、時間外労働の限度に関する基準(平成10年労働省告示第 154号)を発出しました。

ここでは、36協定において定める労働時間の延長の限度等に関する基準を定めています。

月の時間外労働に関しては、延長限度を45時間と定めています。

労働基準法第36条第3項の規定により、労使は、36協定の内容がこの基準に適合したものとなるようにしなければなりません。

しかし、内部労働市場のみに頼る雇用調整では、繁忙期が到来した時にやむを得ず特別条項にて対応せざるを得なくなり、この基準を超えることもしばしばあります。

特別条項の設定は既存従業員に対し過重な労働負担を誘発しやすく、健康面からして問題ある方法です。

これは、近年の36協定違反の違法長時間労働が頻発していることからしても、よく知られていることです。

経済合理性について

また、経営側の雇用管理の面からも、残業は合理的ではありません。

それは、労働時間が長くなればなるほど労働生産性が下がることが、OECD加盟各国のデータから立証されているからです。

一人の労働者が生み出す時間当たりの付加価値のことを労働生産性と言いますが、労働生産性は労働時間と負の相関があることが分かっています。

すなわち、長く働けば働くほど付加価値が生み出されにくくなるということです。

政府は、今年度の経済財政白書で1人当たりの労働時間と労働生産性の関係をOECD諸国のデータを使って分析し、1人当たりの労働時間が10%短くなると、1時間当たりの労働生産性は25%高まると結論付けています。

反対解釈すると、1人当たりの労働時間が10%長くなると、1時間当たりの労働生産性は25%低下するということです。

労働時間の伸び率に比して、2.5倍の労働生産性の低下が認められ、残業には経済合理性が無い事が裏付けられた形になっています。

新たに人を雇用することについて

記事には、

業務が繁忙期を迎えたとき、新たに人を雇用して一から教育するよりも、割増賃金を払ってでも既に雇用している人に残業をさせた方がコストが安い

という記述が見られます。これも、間違っています。

一から教育しなければならない新卒者を一度に大量に雇用するほうが割高になります。

近年では、大学新卒者の3年離職率もかつての20%台から平成7年より毎年30%を超え(但し、平成21年を除く)、かつてより教育コストの喪失が大きくなっています。

また、労働基準法37条に規定されている割増賃金は、企業の教育訓練への投資を回避するために用意されているものではありません。

割増賃金は、過重な労働に服した労働者への補償を行うものとして用意されています。

使用者にとっては、過重労働を行わせることへの抑止的意味合いも込められています。

雇用の流動性を高め、その業務に精通した人を新たに雇用したほうが、経済合理性に適っていることは言うまでもありません。

これは、日本以外のほとんどの国で行われていることです。

また、先述の通り、使用者は、内部労働市場における配転命令権を獲得しています。

配転により、業務内容の変更に至った場合には、既存従業員に対しても教育コストをある程度考慮に入れなくてはなりません。

この意味からも、経済合理性がありません。

経営コストを論じるならば、経営者の指摘に耳を傾けよう

2017年6月、公益社団法人経済同友会が「生産性革新に向けた日本型雇用慣行の改革へのチャレンジ」と題する提言書をまとめ公表しました。

日本型雇用慣行によって日本の労働生産性の向上が阻害されていることを指摘する内容です。

経済同友会では、とりわけ、新卒一括採用という他国に例を見ない雇用慣行が、改革を阻んでいるとして、新卒一括採用の見直しを提言しています。

経済同友会の提言は一読の価値があります。

詳細は下記記事を。 

www.mesoscopical.com 

サービス残業について

また、東京新聞の記事には次のような表現も見られます。

時間を区切った強制退社といった企業の取り組みを単に労働時間を規制するだけでは気合と根性で乗り切ろうという対応になりがち。サービス残業が誘発される。

 ここでいう「サービス残業」とは、おそらく賃金不払い残業のことを指していると思われますが、使用者が強制退社を促しているのにどうして賃金不払い残業になるのでしょうか?

強制退社は、使用者から残業禁止命令が発令されている状態を意味します。

使用者からの残業禁止命令を無視し残業した場合、使用者の意向に反したことになります。

そもそも労働時間とは、使用者の指揮命令下にあるか否かによって判断されるべきものであり、その意向に反してなされた労働を労働時間とすることはできません。

参考のために、この点について判示した最高裁判例を紹介します。

三菱重工長崎造船所賃金カット事件

平成12年3月9日  最高裁判所第一小法廷判決

 労働基準法三二条の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではない。

高プロについて

また、東京新聞には次のような記述も見られます。

高度プロフェッショナル制度について、常見さんは、労働時間の削減につながるか疑問とする。

これも論旨がズレています。

高度プロフェッショナル制度(高プロ)とは、従来の時間給を基調としたものから、成果に応じて賃金が支払われるようにする制度です。

すなわち、賃金形態の変更であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

また、東京新聞の記事には、

「制度を導入すると、労働時間がどんどん見えなくなってしまう」と不可視化を懸念

という記述もありますが、これも間違いです。

高プロ対象者の健康管理維持のために、使用者は勤務時間を把握することが必要とされています。

これを、「健康管理時間」と呼びます。

健康管理時間は、「事業場内に所在していた時間」と「事業場外で業務に従事した場合における労働時間」との合計と定義されています。

すなわち、高プロでは、対象業務の時間配分の決定に関し、高プロ対象者に対し、使用者が具体的な指示をしないこととされる一方で、健康管理のために必要な時間については、ちゃんと把握しなければならないことになっているのです。

「名ばかり管理職」につながるから管理職はいらないというロジックと同じ

 確かに「裁量の無い裁量労働制」は許されまじ

もし「裁量の無い裁量労働制」という事例があれば、労働基準法が規定する裁量労働制を歪めた運用であり、筆者もこれは許されないと考えます。

しかし、裁量労働制のもとで働く人全員に、「裁量の無い裁量労働制」が適用されているのでしょうか?

そうではありません。

裁量労働制を正しく運用しているところが殆どです。

なぜこのようなことを断言できるかというと、筆者自身が実際に裁量労働制のもとで働いていた経験があるからです。

筆者だけでなく、周りも皆裁量労働制が適用されていました。

全員に然るべき裁量が与えられていたため、過重労働でうつ病になったような人は誰一人いませんでした。

筆者は、1つではなく裁量労働制を採用するいくつかの事業所を経験しています。

いずれの事業所においても、裁量労働制のもとで働く労働者で過労に陥った人に出会ったことがありません。

管理監督権限を持たない管理監督者」も許されまじ

ところで、労働基準法41条の規定により、管理監督者には時間外・休日労働の割増賃金は支給されないことになっています。

実質的な権限が無いのに管理監督者扱いにし、時間外・休日労働の割増賃金を支給しない、いわゆる「名ばかり管理職」の問題がクローズアップされたことがあります。

確かに、名ばかり管理職は、法41条の規定を歪めるものであり、決して許されません。

しかし、「名ばかり管理職」が発生する可能性があるからといって、管理職を無くせとか法41条を改正せよとか誰が言うでしょうか?

おそらくこのようなことは誰も言わないと思います。

しかし、高プロに反対する人たちはこれと同じロジックしか展開できない極めて偏狭な視座の持ち主なのです。

アウトソーシングについて

東京新聞の記事では、

業務を外部委託したり、ITを導入したりして労働時間を減らすことができる。

という表現も見られます。

確かに、IT化や機械化には筆者も賛成です。

しかし、その前の表現がいただけません。

業務を外部委託したり、…

筆者は、この表現に怒りを覚えましたね。

他社に業務を押し付けてしまえば、請け負った会社が過重業務に陥っても良いという発想でしょうか?

今、議論の俎上に上がっているのはそういう問題ではないはずです。

いかなる会社においても通用するように日本人の働き方をどうすべきかについて議論しているはずです。

そのために、法体系を整備しようともしているはず。

(他社に業務を押し付ければよいという)プアな発想しかできない人に働き方改革を語る資格は無いですね。

まとめ

東京新聞の記事に漫画のような絵が載っていました。

これを見たとき、筆者は唖然としました。

「このやり方が時代に合わないから改革を施そうとしているんでしょうが…」とも思いました。

時代に適さない制度疲労に陥った雇用制度の維持に執着し、ひたすら改革反対の狼煙を上げ、それに終始するのが関の山。

それくらいのエネルギーがあれば、何か対案を示したらいかがでしょう。