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違法長時間労働の罪で個人の刑事責任が追及されるのはどんな場合か

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はじめに

 2017年6月23日、電通による一連の違法残業事件で検察の方針が固まったと報道機関各社が一斉に報じました。

 電通の違法残業事件で、東京地検が山本敏博社長ら同社幹部を任意で事情聴取したことが二十三日、関係者への取材で分かった。山本社長は勤務実態に問題があったことを認めたという。

 東京地検は、労働基準法違反罪の両罰規定を適用して法人としての電通を近く略式起訴し、捜査を終結させる方針。書類送検された幹部については刑事責任を問わず、起訴猶予にするとみられる。

(参照元:『東京新聞夕刊』2017.06.23

 皆さんは「幹部が起訴されずに会社が起訴されるってどういうこと?」と疑問に思ったことはありませんか。今回はこの点について考えます。

両罰規定について

 東京新聞の報道によると、「両罰規定を適用して…」という記述が見られることがわかります。そこで、次の条文をご覧ください

労働基準法121条第1項(抄)

この法律の違反行為をした者が、当該事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為した代理人、使用人その他の従業者である場合においては、事業主に対しても各本条の罰金刑を科する。

 ここでいう「事業主」とは、経営の主体、すなわち、法人の場合は法人そのもののことを指します。電通の場合、電通という会社そのものが「事業主」になります。東京地検は、この規定を適用して、法人としての電通を労働基準法違反の罪で略式起訴しました。この規定を両罰規定と言います。

 実は、本条項には続きがあります。それが、同条同項ただし書きの部分です。

労働基準法121条第1項(続き)

ただし、事業主(事業主が法人である場合においてはその代表者、事業主が営業に関し成年者と同一の行為能力を有しない未成年者又は成年被後見人である場合においてはその法定代理人(法定代理人が法人であるときは、その代表者)を事業主とする。次項において同じ。)が違反の防止に必要な措置をした場合においては、この限りでない。

 このように、事業主が違反防止措置を講じていた場合には、両罰規定は適用されません。このただし書きの部分で言う「事業主」とは、先ほどとは異なり、法人の場合は「法人の代表者」のことを指します。したがって、電通の場合は、山本敏博社長のことです。報道によると、山本社長は勤務実態に問題があったことを認めています。すなわち、法人の代表者が違反防止措置を講じていなかったことを認めているため、ただし書きは当てはまらず、両罰規定が適用されたわけです。まさか電通と言う会社そのものが牢屋に入れるわけはないので、有罪となった場合は罰金刑しか適用されません。

幹部の起訴は何故なされなかったのか

 朝日新聞は、電通違法残業事件に対する東京地検の方針に関して次のように報道しています。

 検察当局は残業を強制するなどの悪質な行為を確認できず、個人の刑事責任は問わないとみられる(参照元『朝日新聞』)。

 この記述は、「残業は部下が勝手にやったことだから、幹部個人の刑事責任を問えない」と読めなくもありません。

 明示的な残業命令も残業禁止命令も使用者から発令されていない場合に、従業員が行った時間外労働に対し、会社が時間外労働手当の支払い義務を負うか否かを争った裁判があります。ピーエムコンサルタント事件(大阪地判平17.10.6)です。大阪地裁は、「上司が当該労働者の時間外勤務を知っていながらそれを止めることは無かったというべきであり、少なくとも黙示の時間外勤務命令は存在した」と判示しています。しかし、この裁判は時間外労働手当に関し、使用者の民事上の支払い義務を争点としたものです。

 電通事件については、検察は、残業を強制するなどの悪質性が見られなかったため、行為者たる幹部の刑事責任までは追及できなかったと結論付けています。この事実は、私たちが残業に対してどう向き合うべきかを考える上で非常に重要なことを示唆しています。

「残業は部下が勝手にやったことだ」と言われたら上司の刑事責任を追及できない

 違法長時間労働について、上司の刑事責任を追及する上で大前提となることが一つあります。それは、36協定の内容を労働者自身が知ることです。

 時間外労働が存在する事業所において、労働者が36協定の内容を知ることができないということはあり得ません。なぜなら、労働者に対し時間外労働をさせるためには、使用者は36協定を締結し行政官庁に届け出る必要があり、かつ、協定内容を労働者に周知徹底しなければならないことが労働基準法において規定されているからです。

 例えば、36協定の延長時間の限度が月60時間だったとします。このとき、時間外労働が月60時間を超えた瞬間から違法な時間外労働となります。では仮にある日、その月の時間外労働がちょうど60時間に到達したとします。その労働者は、36協定の規定に従って、その月はそれ以上時間外労働ができません。

 もし、次の日、定時終了間際に上司から残業命令を発令されたら皆さんはどうしますか?このときは、次のように回答すべきです。「今月は時間外労働が協定延長時間の限度(60時間)に到達しているので、これ以上残業できません」と。

 すんなり了承してくれればそれで問題ないのですが、上記のように申し出たにもかかわらず上司が残業命令を発令したため協定延長時間を超える残業を余儀なくされたとします。この時点で、上司は違法性を認識したうえで、残業を強制したことになります。したがって、その上司は、刑事責任を追及される可能性があります。

平社員が同じことを言ったらどうなるのか

 では、上司と同じことを、平社員が言ったとしたらどうなるでしょうか。例えば、その平社員をA先輩とします。この場合は、A先輩に対し刑事責任を追及することはできません。なぜなら、A先輩は使用者に該当しないからです。そこで、労働基準法の言うところの使用者とはいったい何なのかについて考えてみます。

使用者とは

 労働基準法に使用者の定義があります。

労働基準法10条

この法律で使用者とは、事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいう。

 具体的に説明します。

  1. 「事業主」:法121条第1項の説明の時に述べたとおりです。
  2. 「事業の経営担当者」:事業経営一般について権限と責任を負うものを言います。具体的には、法人の代表者・取締役・支配人などです。
  3.  「その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者」:人事・給与等の労働条件の決定や労務管理、業務命令の発出や具体的な指揮監督について、一定の権限が与えられ、事業主の利益のために行為をするすべての者のことです。

 3の場合、通常であれば、課長以上の職位にある管理職が使用者に該当するでしょう。しかし、実際には、使用者該当性は、職位に関わらず、実質的な権限と責任があるかどうかによって判断されます。実質的な権限を伴わない名ばかり管理職というのもあるので特に注意が必要です。上記をまとめると、平社員のA先輩は労務管理の実質的権限を与えられているわけではないので、使用者には該当しません。

やはり残業禁止をデフォルトとするのが一番良い方法

 大阪府寝屋川市は、残業申請しない限り自席の端末を10分後に強制的にシャットダウンするシステムを導入しました。 

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 申請をした場合でも、延長時間を超えれば10分後に端末がシャットダウンするような仕組みになっています。このシステムに36協定違反の残業申請が出来ないようにロックをかければ、36協定違反の違法残業が原理的にできないことになります。

電通事件の今後の注目点について

 報道各社は、電通事件について今回の検察の方針が明るみになったことで「捜査は終結する見通し」と述べていますが、事件そのものが終結したわけではありません。近年、大阪簡裁で、違法長時間労働など労働基準法違反の罪で検察の略式起訴に対し、裁判所が略式不相当として、通常の公開形式の裁判を開くケースが増えてきています。

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 したがって、今後の注目点としては、電通事件で検察が略式起訴をしたことに対し、東京簡裁が略式不相当と判断するかどうかということです。もし、略式不相当と判断された場合、電通の山本社長は法人の代表者として裁判に出廷しなければならないことになります。そして、もしそうなった場合、山本社長が裁判でどのような発言をするのかについても注目に値します。また、判決がどのように下されるかについても注目していかなければなりません。

まとめ

 上司が違法性を認識したうえで残業命令が明示的になされていれば別ですが、違法残業について上司の刑事責任が追及されることは稀です。では、なぜ日本社会では、違法長時間労働を甘んじて受け入れてしまうほどの残業依存体質に陥ってしまったのでしょうか。

 かつて終身雇用が当たり前だった時代では、成果量より労働投入量が評価の対象とされてきました。高度経済成長期の日本では、人件費が欧米諸国に比して安く、無尽蔵の労働投入が利益と直結していたからです。この独特の企業文化が、サービス残業や労働時間の過少申告といった長時間労働に対する歪んだシグナルや無用の忖度を生んできました。

 しかし、現代はそうはなっていません。なぜなら、アジア新興国に代表されるようにかつての日本と同じビジネスモデルで台頭してきた国々が現れたからです。人件費の高い日本が、これらの国々に対抗し得るには、短い労働時間で如何に付加価値の高いサービスや技術を生み出すことができるか、すなわち、労働生産性の向上が重要なキーポイントとなっています。起訴猶予となった電通幹部の人たちも、安堵の表情を浮かべる前に、労働生産性についてもっと真剣に考える必要があるのではないでしょうか。