Mesoscopic Systems

働くルールを理解してこれからの働き方について考えよう!

新卒一括採用のシステムが多様な働き方を阻害している

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もはや完全に時代遅れな新卒一括採用システム

前回、新卒一括採用のシステムが時代遅れである理由について述べました。 

mesoscopic.hatenablog.com

今回は、もう少し具体的にこの問題について考えてみます。

半世紀前の人が読んだら納得したであろう記事を東洋経済ONLINEで発見しました。

toyokeizai.net

 今の新卒一括採用における採用過程がここまでひどい状況にあるのかというのが記事を読んだ率直な感想です。

今回は、新卒一括採用のシステムがいかに今の日本社会に暗い影を落としているのかについて考えてみたいと思います。

欧米の常識は日本には存在しない

 例えば、ある分野の専門知識を活かした仕事がしたいとします。

欧米では、その分野の専門知識の深さが徹底的に問われます。

もし、希望する会社に入ることができなければ、別の会社に入ってキャリアを積んでさらに専門知識を深め、再度もとの希望する会社を受け直すことができます。

もし再びだめだったとしても、今いる会社でさらに専門知識を深めるか、あるいは別の会社でキャリアを積んでから、再びもとの希望する会社を受けることも可能です。

そして、このプロセスを何度も行うことができます。

このように欧米では選択肢の幅が広く雇用が流動的です。

この一連のプロセスを「就職」と言います。

欧米では、労働市場が企業の枠組みを超えて業種や職種ごとに

広く開かれているからこそ、このようなことが可能なのです。

日本の閉鎖的な労働市場が、採用活動に影響を与えている

 一方、日本における労働市場は極めて閉鎖的です。

長期雇用を前提としているため、雇用が流動化していません。

つまり、欧米と違い、最初にしか入口が用意されていないのです。

雇用が硬直化している以上、使用者は、広範な人事裁量権を行使して、変化の著しい経済状況に対応せざるを得ないのです。

広範な人事裁量権とは、前回お話しした通り、「無理難題」のことです。

もともと職務内容が限定されておらず曖昧なので、採用過程において

ある特定分野の専門知識をそれほど厳格には問われません。

日本の新卒一括採用の選考プロセスとは、この「無理難題」をどこまで耐えられるのか、すなわちストレス耐性を測っているに過ぎないのです。

もちろん、企業はこの不都合な真実を前面には出しません。

したがって、「コミュニケーション能力」という言葉に代表されるように、美辞麗句でもって表層を覆っているのです。

この一連のプロセスを、「就職」とは言わずに「就社」といいます。

「就活」とは、「就社活動」の略だったのです。

会社は禅寺の修行の場と異なる

 筆者は、観光で神社仏閣を訪れることが好きであり、禅寺を訪れると雲水(修行僧)が修行しているのを見かけることがあります。

禅寺では、座禅を通じて「自己を見つめる」ということを行っています。

このように徹底した厳しい修行を経ないと、「自己を見つめる」すなわち自己分析など到底不可能なのです。

しかしながら、どういうわけか日本では、面接の際に「自己分析」なるものが求められます。

東洋経済の記事の中にも、「自己分析」とか「自己診断」とか「自己のタイプ」といった抽象的かつ曖昧な言葉が躍っています。

面接官が禅寺の有名な和尚さんであれば別ですが、そもそも悟りを開いてもいない人が他人の自己分析を定量的に評価することなどできないのです。

 つまり、求職者と面接官の双方にとっておよそ不可能なことを議論の俎上に挙げているのです。

経済学上当然のことを回避することはできない

 東洋経済の記事を読んでいると、人事担当者が非常にミスマッチを警戒しているのがうかがえます。

しかし、採用活動においてミスマッチは付き物です。

経済学では、非自発的失業の無い状態を完全雇用と言います。

失業率が0%でなく有限な値を持っているのに、「完全雇用」と言われるのは、潜在的なミスマッチを見越したことなのです。

 もちろん、ミスマッチはどの国のどの労働市場においても必ず存在します。

人事担当者がミスマッチの無いことを求めるのは、本来経済学の理論上あり得ないことを自分の会社にだけあてはめ、ミスマッチが0の理想郷に住みたいという幻想を抱いているのと同じです。

多様な価値観を認めてこそ真の「働き方改革」につながる

 会社に入って、たまたまその会社の雰囲気が好きになり長く働きたいと思えばそうすればよいのです。

その一方で、雰囲気が合わなくて辞めるという選択を採ることは、むしろ自然なことです。

会社の雰囲気が好きでないのに、無理やり忍従し、結果として、終身雇用という悪しき雇用慣行の継続に加担するほうが恥ずかしい行為です。

そして、半世紀前の雇用慣行に固執し、多様な価値観を認めないことこそが最も恥ずかしいことなのです。

人々が多様な働き方を選択できるように社会を構築することこそが、真の「働き方改革」なのです。